Meerkat-girl solo performance「人間が動物のふりをする、人間が動物のふりをする 」2021.6.20 sun

人間は、長い歴史の中で動物からの脱却を試みた。

それは、人間が社会的存在として人間たる尊厳を獲得するためである。

それから文明が進み、こと日本においては餓死などはめずらしく、むしろ個人は様々な人生の選択ができる社会が訪れた。

ホモ・ルーデンスの著者、ヨハンホイジンガは「人間は遊ぶ存在である」と定義した。

まさに、”遊び”の選択肢が無限にある状態である。

飛行機やインターネットといった文明の誕生以前の個人の時間は一日24時間だっただろう。

その中で人々は当たり前のように、個人の本来の24時間をこえた、新たな時間を手に入れた。

オンライン会議を使った世界各地のクライアントとの仕事。

世界中で大ヒットするサブスクリプション映画サービス。

外国人が料理するレストランのデリバリーフード。

リアルタイムでのヨーロッパリーグのサッカーの試合中継。

生活の一部だったものが、それを中心に生活がまわり始めている。

これからは、オンラインであること、コスモポリタンであることは自動的に、または意識せずに個人に強要される。

その人間が生み出した新たな時間の居場所は、個人のもつ一日24時間から逸脱する。

どこに確固たる、自分という個人の時間は存在するのか。

人工的に作り出された時間の中で個人の時間を見出すならば、人間がかつて脱却を試みた“動物”としての時間こそ、”自分の時間”になり得るかもわからない。

自然にみたてた人工のなにか。

脳を麻痺させるアルコール。

愛犬とのふれあい。

裸で抱きしめる誰かの体。

眠りについて意識が落ちる瞬間。

“遊び”の蔓延した社会の中で、個人に強制される社会的存在「人間」。

個人を獲得するために、必死に「動物」としての時間を探す。

獲得できずに個人という人間が崩壊してしまうのか。

崩壊したら人間は動物に戻るのか。

それとも、個人が崩壊しても動物にはなれず、個人を失った人間でい続けるのか。

それは絶望ではなく、すでに誰もが無意識のうちに実践していて、もしかしたら我々が動物的だと信じていた時間さえも、人間らしい社会の中で形成された感覚でしか捉えることができないのかもしれない。

All performance direction/Artist

Meerkat-girl

Performance cast/ Miyuki Kawaoka, Beck Nuritov ,Nuts (Kazuma Yamamoto)

Performance shooting /editing Ma Raven (Video in Performance)

All video direction/Artist Meerkat-girl

shooting /editing Ma Raven

Voice recording Beck Nuritov

Sound effect (a part of video) Interactive Realism_ Procedural Audio Demo By Stephan • E· Perez

2021 June Copyright ©2021 Meerkat-girl All rights reserved

人間が動物のふりをする、人間が動物のふりをする

  • Sagamihara atelier

出演